2023/5/15 第16回
国内では主義主張や習慣・利権などが異なり、国家間ではさらに南北問題や歴史的軋轢が加わる。このような国内外の軋轢の中で、「入会地の悲劇」を最小にしたい。有限の生物圏で80億人が共存するために、何を重視し共有すれば良いのであろうか。
OECD(経済協力開発機構)は「汚染者負担の原則(1972)」をつうじて、「公正さ」を重視し共有すべきとしている。地球サミットが採択した2016年からの17の国際目標(SDGs)も「公正さ」を重視し共有すべきとしている。また、地球サミット(1992)は「持続性」を重視して、“sustainable society”を共有すべきとしている。「公正さと持続性」こそが、さまざまな主義主張の人々と国々が「入会地」を共有するための、知の到達点である。
たとえば、原発の儲けは原子力ムラが占有しているにもかかわらず、原発の開発や事故処理に国民の多額の税金を投入している。これでは「公正」とは言えない。また、たとえばTPP(環太平洋経済連携)による物質循環の遮断、地球温暖化の激化なども、生物圏を非持続的にし、社会を不公正にする。これでは「共有」しようがない。
さらに、「量的意義」も意識しよう。たとえば海のマイクロプラスチック汚染はプラスチックストローを紙製にすれば解消するわけではあるまい。また、11分で満杯になる地下ダム(首都圏外郭放水路)を提案するのも量的意義の見識を欠くからであろう。現代人は、「質的」に考えることがあっても、「量的」に考えることは苦手のようである。
万人が望む豊かさは何がもたらすのであろうか。金銭は必須と思わされてきたがその価値は案外限られていた。経済の右肩上がりの呪縛から解放されて、金銭がもたらす豊かさを問い直してみよう。豊かさは地べた、多様な自然、これらに融合した社会の中にこそ存在するのではなかろうか。
【コラム7.6】1)
Sustainable society の訳は「持続可能な社会」?
地球サミット(1992)で強調された“sustainable”を「持続可能」と訳すことが多い。しかしながら、「可能」はすべてにあてはまる“何でもあり”の訳で、何も伝えていない。したがって、「可能」と訳してしまうと、sustainableの-able に含まれた積極的な意味、「…できる」、「…性が高い」、が伝わらない。伝えるために“sustainable society ”の訳は、「持続可能な社会」ではなく、「持続的な社会」、「持続性が高い社会」などがより適切であろう。
2)問われていることは共存の知恵である
ロシアによるウクライナ侵攻、中国による海洋侵出を機に、日本の政財界は「軍拡」しないと彼らに攻められるぞ」のキャンペーンに余念がない。軍拡賛成者は、軍拡に否定的な人を「平和ボケ」と呼ぶ。
紛争の主要な原因は領土問題である。歴史をどこまで遡るかによって 領土の所有国は容易に変わる。そのために、それぞれの国が自国に好都合な歴史認識を主張し、意見の違いの平行線をねじ伏せるために武力に訴えてくる。
したがって、軍拡しなければ他国に攻められる。これは覚悟しよう。
ところが、軍拡しても自国は守られない。これも覚悟しよう。
軍拡で自国が守られると思いたいが、そんな簡単な話か。とりわけ、核大国には核で対抗せざるをえないとするなら、核の軍拡競争は必然である。これがもたらすものは、自国民を守るどころか、人類滅亡を早めることである。「平和ボケ」と非難する前に、武力に安易に依存する人は「軍拡依存ボケ」を自覚してほしい。
問われていることは共存の知恵である。有限の生物圏は領土問題の紛争を受けいれるほど強靭ではない。われわれに残されている唯一の選択肢は、地域の特性を活かした多様な社会を受けいれながら、持続的で公正に共存する知恵である。
FIN
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