2023/5/5 第15回
原発(原子力発電)の是非の議論には不毛な平行線が多い。とうぜんである。目的を共
有しないで「手段」の良し悪しを議論しているからである。すなわち、目的(地)が経済
の活発なハイテク貿易都市であるなら、エネルギーの手段として原発は必要であろう。目
的が水と緑の循環型社会なら、原発は不要で、再生可能エネルギーで十分であろう。
原発の是非を議論するとき、目的・手段を共有しないから、不毛な押しつけあい言いっ
ぱなし平行線を続けてきたのではないか。
ところで、目的と手段の選択・共有は自由ではない。これらを選択・共有するための必
要条件は生物圏は有限であることを科学的にかつ適切に配慮していることである。
すでに、国連地球サミット(1992)やOECD (経済協力開発機構) は目的と手段が「持続
的」であることを選択・共有の必要条件としている。また、次世代の持続性を配慮するこ
とも必須としている。
それにもかかわらず、「生物圏が有限であること」を意識して、持続的な未来社会と手
段を語ってきたであろうか。また、「有限であること」に配慮して、右肩上がりの経済の
追求がもたらす弊害を語ってきたであろうか。
以上の視点からたとえば、安倍政権が提案した原発をベースロードとしたハイテク貿易
都市を評価してみよう。ハイテク貿易都市は、建設のみならず、維持にも大量の資源を消
耗する。とりわけ、橋、道路、上下水管、廃棄物の埋めたて地などのインフラの維持費は
すでに国家予算を脅かし、次世代への負荷を重くしている。ここには持続性は配慮されて
いない。これでは、ハイテク貿易都市は目的(地)として選択・共有できない。
さらに、これを支えるはずの手段、原発はウランも有限、プルトニウムの制御も手に負
えない。さらに核廃棄物の捨て場のない“トイレなきマンション”である。これでは手段
も「持続的」とはいえない。
選択した目的も手段も非持続的であることが理解できず、加えて生物圏の有限に想いが
めぐらない。このようなお粗末な政策が社会と自然の劣化・荒廃、いわれなき貧富の差を
拡大してきたのである。
【コラム7.5】「経済の右肩上がり」は無いものねだり
有限の生物圏の中で経済の無限の発展は物理的にありえない。すでに生物圏は人間活動
により不可逆的な劣化・ほころびを示し始めている。それでも私的な蓄財を企むなら、合
法を装って入会地の恵みを独占するしかない。すなわち、自分が「金持ちの成功者」なら
成功は自己の努力・能力の賜物と自画自賛し、温暖化をフェイクと叫び、統一教会への恐
喝・巻き上げを神の意思と装えばよい。さらに、競輪・IRカジノ、軍拡、報道タブー・公
文書改竄などは「公共性」や「国益」のためとうそぶいて、私的な蓄財の批判をはぐらか
せばよい。
こう考えると政財界の大部分や経済の勝利者はとっくの昔からこれらの策略を実行して
いたことになる。ただし、これらは今後は通用しない。有限の生物圏を不可逆的に崩壊さ
せ、財、豊かさを消滅させ、さらに経済の勝利者さえも消滅させるからである。 Fin
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