2023/4/25 第14回
大学の研究者は新規性・社会的意義を自覚すると寝食を忘れて研究に没頭する。学生も同様である。大学の高い活性は「自由・自主性」が担保されたときにのみ発揮される。政財界がこのような大学にタダ乗りを謀ったとたんに大学は停滞し、「果実」どころか、大学そのものを崩壊させる。
以下に、毎日新聞「幻の科学技術立国」取材班(2019)を聞いてみよう。
東京農工大学が黒かびから得た脳梗塞の新薬「TMS-007」の実用化は、日本企業ではなく、アメリカの企業が目ざしている。経済同友会の小林喜光は「国が基礎研究を担い、企業が実用化する分担」を否定し、ノーベル賞まで基礎研究偏重であると批判する。
国立大学は独立法人化を強要され、運営費や、研究費などの外部からの獲得も強要されている。科学研究費の採択率はわずか25%、採択されても約3割が所属機関の維持費にピンハネされる。大学は職員も減り、雑用も増えて、研究教育の時間すらない。いっぽう、博士号を取得しても将来が展望できないから、1990年以降の大学院重点化にもかかわらず、学生は博士課程に進まなくなった。
さらに、政財界は教授会を形骸化し、学長の首根っこを抑えれば国立大学は意のままになると考えたようだ。また、尾身幸次(元科学技術担当相)は「科学研究に力を入れても、金にも票にもならない」といってはばからない。国民の「入会地」である大学の研究成果を政財界が独占し、大学の荒廃は国民に押しつける、典型的な「入会地の悲劇」である。
あきれたことに、高質な研究教育は容易に達成できると学識の無い「トップ」は考えているようだ。内閣府の総合科学技術・イノベ―ション会議(議長安倍晋三)は大学を指導する「トップ」であるそうだ。この会議の委員選出は、「公募」を偽装した「やらせ」であり、この偽装には茂木敏充経済再生担当相も絡んでいた。偽装トップがもたらした成果は悲惨であった。たとえば、「チョコレートを食べると脳が若返る可能性がある」(「トップ」はNTTの山川義徳)の研究には対照群がない。あきれるほど幼稚で杜撰な「トップ??」である。さらに、被験者はわずか30名、科学的根拠はなく、けっきょく研究は中止となった。 量子コンピューターではないのに、「トップ」の山本喜久は量子コンピューターを偽装して、メディアにまで「過大な広告」をやってしまった(以上、毎日新聞「幻の科学技術立国」取材班、より)。
大学を入会地の悲劇からとりもどすためには、大学関係者は教育の質を向上させ、研究成果を高質な論文にまとめて学会誌に発表するだけでは不十分である。大学を市民や、地方・国の諸団体や議会関係者に「公開」し、たとえば持続的社会の未来像を議論し共有する場にしては如何であろうか。
【コラム7.4】 安倍元首相のはぐらかし、「しっかりと、ていねいに」
安倍元首相が国会答弁で好む言葉に「しっかりと」がある。この多用によって、政策が高度であるかのように暗示している。さらに、ウソや無策が問われているのに、「ていねいな」説明が足りないから「誤解」されたとはぐらかす。加計学園の認可では、「規制」の意義をはぐらかして、「(規制の)岩盤に穴」がさも功績のようにうそぶいている。
「しっかりと、ていねいに」のはぐらかしは他の議員や小池都知事などにも伝染してしまった。岸田首相の「新しい」資本主義、「次世代型」原発、「異次元の」少子化対策、も空々しい。
政策?を語った後で、「……と私は思う」などという大臣や高官が多い。国民が聞きたいのは大臣・高官としての責任ある見解であって、個人の見解ではない。突っ込まれたとき、大臣ではなく、「個人の考えは自由である」と責任を回避する腹がみえみえである。ならば冒頭に自分は大臣などと言うな。
無策を空々しい言葉ではぐらかす政治家を選んでしまったのは有権者である。われわれは良質な政策と政治家を見抜いて、はぐらかしをゆるすまい。
(PS.このコラムを書いたあと私は、政治家が [しっかりと」や「ていねいに」を何回言うかを数え、内容は全く聞いていない自分に気が付いた。最後になったが、このような不毛(頭髪ではない)の人にならないために、このコラムは読まないことをお勧めする)。
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