【環境ミニ講座7.2】 生態学(エコロジー)は環境問題を語れない


                                2023/4/5第12回

環境に良いことには生態学の「エコロジー」あるいは短縮形の「エコ」をつけることが

多い。しかしながら、生態学は環境問題を語れないし、何らの指針を示したこともない。

せいぜい、曖昧な「雰囲気」を醸しただけである。では、ネイミングが酷似している生態

系学(エコシステム学)は、環境問題を語れるのか。

生態学は「生物」と環境の関係を語る。ここにおける「生物」に「人」が含まれること

は稀である。これは「環境の主体は人である」とする環境学と真っ向からあい入れない。

生態系学は「生物」と環境の関係を語る。ここにおける、「生物」は「人」が主体であ

って、人以外の生物は主体ではない(瀬戸、1990)。

門司(1976)は「生態学と生態系学を融合させよう」と提案したが、二つの学問があま

りにも異質で「融合」できないことは見抜いていなかったようだ。どのように異質か。

生態学における階層は「分子→ 細胞→ 種個体群→(種個体群の)社会」と描ける

。  

生態学における基本単位は「種個体群」である。上記の階層は分子から種個体群のよう

に質の低次から高次への生命現象の階層に位置づけられる。それぞれの階層は矢印が示す

右向きの「時間軸」が存在する。なお、種個体群は社会を形成して初めて自立的な単位に

なる。

生態系学における階層は 「分子→ 細胞→ 生態系→ 生物圏→ 地球」と描ける。

     

生態系学における基本単位は「生態系」である。「種個体群」ではない。上記の階層は

、分子から生態系さらには生物圏のように量の単なる増大の階層に位置づけられる。階層

の間の矢印は、量の増大を右向きにしてみたが、量の減少を左向きで示してもかまわない

。この階層は時間や、生命の歴史を含まないからである。    

すなわち、生態学の「種個体群」と、生態系学の「生態系」は異質の階層構造の中に位

置づけられている。したがって、門司(1976)の提案は階層構造の異なる「種個体群」と

「生態系」をむりやり融合させることになる。これは、「木に竹を接ぐ」ようなもので、

生態学も生態系学もともに枯れる結果をもたらしてしまった。

門司に代わって、瀬戸は以下のように提案する。

生態学は「目的の種個体群の数量の変動、社会関係そして進化過程を食物連鎖系をつう

じて研究する生物学の一分野」(瀬戸、1990)である。ここで、食物連鎖系とは捕食、被

捕食のみならず、光、デトライタス、無機的環境要因も含めた系とする。

生態系学は、生物学ではなく、環境学の一分野である。生態系学は生態系の構造と機能

、遷移、土地利用の区画モデル、物質循環の完結などをつうじて、人の生存と環境の関係

を研究する分野である(Odum,1971)。   



【コラム7.2】「科学(的)」とは?

「お前の考えは科学(的)ではない」とはよく聞かされる言葉である。では、どうであ

れば科学(的)といえるのであろうか。あなたはどう考える?

 私は「予測できること」が科学(的)な要件であると考えている。予測のためには、関

連する要素の「体系化」が必須である。たとえば、さまざまな元素の性質は周期律表など

によって「体系化」され、この体系化をつうじて新しい元素の存在は「予測」され、発見

された。

「予測できること」が科学(的)な要件とすると、科学的と言える分野は、物理学と化

学の一部に限られる。私の専門の生物学や環境学は、各要素の「体系化」が不十分である

から、「予測ができない」。したがって、科学(的)からは遠いと言わざるをえない。ま

してや、社会科学はさらに遠い。なお、「強い(strong)科学」、「弱い(weak)科学」の

仕分けのとき、この「予測できること」が「強い科学」の必要条件であるようだ。 

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